■眉毛のない女-5

決戦

「おにいちゃん、おはようさん」
次の朝、階段のところで出会ったおばちゃんは昨晩のことを覚えてないようだ。

「おばちゃん、昨日みたいなこと困るんですよ・・・」
「昨日? ウチなんかしたんかなぁ・・?」
「なんかて・・・覚えてないの?」
「あ〜〜、飲みすぎてなぁ。全然覚えてないんや」
「・・・・・・」
「何かしてしもたんやったらごめんなぁ。気ぃつけるわ」

おばちゃんはケロッとした顔で悪びれずにしゃべるいつもの顔だ。
しかし、私は昨晩おばちゃんの心の闇を見ている。
おばちゃんの隣には旦那さんが、おばちゃんに隠れるように立っていた。
終始うつむいて決してしゃべることはない。顔のところの青アザが目立つ。
気のせいかこの前より傷が増えているような・・・。
旦那さん何かに怯えているような・・。

ピンポーン

き・・・、来た。
まただ・・・。
時間は昼前だったが、もうすでに夜でなくても恐怖するようになっていたのだ。
しばらくはノックの音とチャイムが恐くなったし、夜ドアを開けるのも恐くなった。
私はふとんに隠れて物音を立てないように息を潜めた。
居留守を使ったのだ。

「・・・・」

ピンポーン

しばらくしてもまだドアの外の気配は消えない。

「ちくしょう・・・早く帰れよ・・」

そう念じつつ私は息を殺す。
しばらくするとドアの外から声がする。

「こんにちわー。すいませーん」

中年の男の声だった。
あの女じゃないんだ!
そう思った私は安心して急いでドアを開ける。
「はーーい!!」
「あ、居られましたか」
おばちゃんでないだけで何故かうれしかった。
「はい?」

「あ、NHKですけど。視聴料金お願いします」
「・・・ボクNHK観てないから。すいません」

私はドアを閉めた。

心地の悪い時間は1分が1時間に感じるものだ。この日の夜はそんな夜だった。
外は陰気な雨が朝からシトシト降り続いていた。
湿気が高くて衣服にまとわりつく感じがなんとも気持ち悪い。
私はベッドに横になってビールを飲みながらテレビの心霊現象の特番を見ていた。
恐い番組は大好きだ。
テレビでは悪い霊に乗り移られた女の人を除霊しているようなシーンだった。
その時演出なのか、番組の中で撮影機材のひとつが大きな音を立てて倒れた。

ドズーン!!

その時、私のマンションでも大きな音がしたのだ。
私はあまりのタイミングにびっくりして飛び起きた。
怒鳴り声が聞こえてくる。今日は3階からのようだ。
私はこないだのこともあるので、テレビのボリュームを上げて無視することにした。
しかし今日の騒音はなかなか収まらない。
ずっと下で怒鳴ったり音を立てたりしている。
私はちょっと様子を見たくなった。今まで一体誰が・・・。

音を立てないようにドアを開け、忍び足で階段をゆっくりと下り、
階段のコーナーを曲がって3階の廊下が見渡せる位置にたどりつく。
最初物陰になって見えなかったが怒鳴っている本人の姿が見えた。
私との距離は15メートルくらいだろうか。
そしてその犯人の正体とは・・・

やはり、あのおばちゃんであった。

「開けんかいー! コラー!!」

おばちゃんはドアに両手をついて、靴で執拗に蹴りをいれている。
その顔にいつものにこやかな表情はなく、
青白い顔に残忍な目をして何かに取り憑かれたような形相だった。
私は逃げようと思って体を反転させようとして体が固まってしまった。
おばちゃんが私に気付き、ちょうど目が合ってしまったからだ。
おばちゃんはツカツカと早足で私の方に向かってくる。私はもう金縛り状態だ。

バチン!!

おばちゃんは私の前で立ち止まるとフラフラしながら私の顔に力一杯ビンタを喰らわせてきた。

「あんた、ウチをこのマンションから追い出す気やろ!!」

「!??」
私は何故殴られたのか混乱しながらも、つい反射的に体が動いてしまい、
お返しのビンタをおばちゃんの頬に入れてしまった。
おばちゃんは酔って足取りが不安定なところに、急な衝撃を受けて後ろにヘナヘナと尻餅をついた。

やってしまった・・・。

おばちゃんは尻餅をついたまま、打たれた左の頬を両手で押さえながら私に向かって叫ぶ。

「おまえは女を殴るんかーー!!」

おばちゃんはすぐに立ち上がると私に向かって叫びながら飛びかかってきた。
私はもう必死で4階の自分の部屋に向けて階段を駆け上がる。
自分の部屋にたどり着いた私は部屋を閉めようとするが、
意外な速さで追いついたおばちゃんにドアをこじあけられる。
もうこうなったらこの女の天下だ。
どうしよう。せめて部屋の中にだけは入れてはいけない。
おばちゃんは部屋の中に押し入ろうとして、止める私に向かってゲンコツで殴りかかってくる。
昔「エクソシスト」で悪魔に乗り移られた少女の顔はちょうどこんな顔だった・・・。
私は怖さで膝がガクガクと震え、
顔をボコボコと殴られながらも必死でおばちゃんの体をドアの外に押し出す。
おばちゃんは半狂乱でわめきちらしている。

「殺したらーー!!」

2件隣のマンションの住人がドアから顔を覗かせてこちらを見るが、
関わり合いになりたくないのかすぐにドアを閉めて鍵をかけてしまう。
マンションとは閉鎖された空間だ。

「け、警察呼ぶぞ!!」

「呼べや! 呼んだらええやんけ!!」

「ホンマに電話したるからな!!」

私はそう言うと部屋の受話器をとり警察に電話をかける。
「あ、もしもし。あの・・・今近所の人に襲われてるんです・・・」
私が電話している間、おばちゃんはうずくまったり、ブツブツ言ったり、
私の部屋の靴を私にめがけて投げつけたりしていた。

私は部屋を荒らされてはいけないと、
おばちゃんを誘い出しマンションの下の道路のところまで下りていた。
おばちゃんは酔いで疲れているのか雨の中地べたに座り込んで空を見ている。
かと思うと急に立ち上がり私に殴りかかってくる。
そしてまたヘナヘナと座り込んで、ただ雨に打たれている。
私にはひたすら警察を待つこの時間が長い。
警察が到着したのは20分くらいしたころだろうか。
カッパを来て自転車に乗った若い警官一人だった。

「大丈夫ですか?」

警官は私にそう聞くとおばちゃんのほうに歩いていった。
「おばちゃん、さ、立って。ちょっと警察まで来てくれるか。交番すぐそこやさかい」
警官は座り込んだおばちゃんの肩をつかんで立たせようとした。
私は安心して、雨でぐしょぬれになった衣服が気持ち悪いことにやっと気付いた。
「あとは任せてください」
若い警官は私の方を向いてそう言った。

その時・・・

おばちゃんが隣の家に立てかけてあった金属バットを握りしめ、
なんと警官めがけて振り下ろしたのだ。

「おまえも殺したらぁ!!」

ゴイン!

警官の頭を捕らえた金属バットは辺りににぶい音を響かせる。
私はまた青くなりボーゼンとするが、
倒れた警官に向けて更にバットを振り下ろそうとしている。

「わぁーーーーーっっ!!」

私はあわてておばちゃんに飛びかかった。
なんとか無事だった警官はすぐに起きあがり、
私が押さえつけているおばちゃんの腕に手錠をかけると無線を入れ、本部に応援を呼ぶ。
押さえつけたおばちゃんの力は女とは思えないほど強く、体は生ゴミのような腐敗臭がしていた。
おばちゃんは私を睨むと叫ぶ。

「オマエ・・・・覚えとれよー!!」

「おーい、おにいちゃん」
次の日おばちゃんは旦那さんと階段を下りながら、1階のバイクの前にいる私を見つけて呼ぶ。
酒が入っていない時のおばちゃんの顔はいつもにこやかだ。
人相はなにか霊的なものを感じはするが・・・。
「ウチらこのマンション出てくことになったんや」
「そ・・そうですか」
「昨日はごめんな〜。ほいでも、にいちゃんも悪いんやで」
「え・・なんでですか?」
「ま、善人ぶるんやったらええけどな」
「・・・・・」
意味がわからないまま私はそそくさとその場を逃れた。
次の日からおばちゃんと旦那さんの姿は二度と見ることはなかった。

ここんとこの出来事は全てこのおばちゃんの仕業だったのだ。
旦那さんの傷も「外でケンカしてきた」というのはウソで、
毎晩酒を飲んでは旦那さんを虐待していたらしい。
以前より各階の住人の部屋を訪れ迷惑をかけていたらしく、
苦情もあったので警告はしていたらしいのだが、最近特にひどかったらしいのだ。
私はその中でも特に気に入られていたようだ。管理人は耐えかねて退去を命じたらしい。
実は私が不規則な時間の仕事のため、決まった時間に家にいないので知らなかったのだが、
私が部屋にいない時も私の部屋の前に何度も訪れていたようだ。
ある時など針金で部屋をこじ開けようとしていたらしい。

このおばちゃんも恐ろしいが、事件が起こっているのに知らん顔したり、
そういう事実を知らせてくれない近所の無関心さが真に恐ろしいのです。



終劇(このドラマはノンフィクションです)

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