チャプター12
●前回までのあらすじ ホッファの手下達の執拗なリンチは延々と続いた。 しかし、ジョンは隙をついて彼らを倒し、 同じくリザードマンを倒し、逃れてきたバレリーと共に ホッファの根城を脱出する。 そんな2人を待っていたのはまたしてもドナヒューだった。 ドナヒューはホッファとリザードマンから金をもらっている。 ドナヒューは怒りも露わに、傷ついたジョンを更に痛めつけた。
◇
バレリーはパンティとTシャツだけ身につける。 キッチンから湯を入れた容器とタオルを持ってベッドに運ぶ。 ベッドにはジョンが寝ている。 ベッドに腰掛けると、ジョンの腫れ上がった顔の血を濡れタオルでふきとってやる。 白いシャツは飛び散った血糊で赤く変色していた。 バレリーはジョンのシャツを脱がせた。 シェイプされ、固い筋肉に包まれていた。 血を濡れたタオルでふきとると、男の体は切り傷や弾痕で一杯だった。 バレリーは息の呑んだ。 生々しい傷にまみれた男の体を見つめ、バレリーは思った。 この男は一体どんな生活を送ってきたのだろう? こんなに傷つけられるのは恐くないのだろうか? 動機はどうであれ、この男には何度も命を助けられた。 今生きていることだけでも不思議なのだ。 生きる・・・。 生きる・・・か。 ロイドと出会うまでの自分は生きる希望がなかった。 いつ死んでもいいとさえ思っていた。 彼と出会ったのは場違いな場所であった。
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バレリーは自分のマンションの屋上で下界の夜景を眺めていた。 夜の街の景色は好きだった。 汚いものも全て覆い尽くしてくれる。 手すりを越えて直立し、流れる光の渦を見下ろしていた。 飛び降りるつもりだったのではない。 ただ、このまま間違えて落ちて死んでもいいとは思っていた。 その時背後から声がした。 「君もここに住んでるの?」 振り向くと一人の男がしゃがんでこちらを見ていた。 片手にはビニールの飼料袋を持っていた。 手すりを越えて地上を見下ろしてる人間がいたら、 普通言うセリフは“馬鹿なマネはやめろ!!”じゃないのだろうか? バレリーはそう思った。 もちろんそう言って欲しかったわけでもないが。 「・・・何してるの?」 「鳩だよ」 「・・・鳩?」 「屋上で鳩飼ってるんだ。このマンションはペット禁止だろう? だからここで飼ってるんだ」 見ると大きなケージがあり、中に数羽の鳩がいた。 「エアカーやパイプの蒸気でたまに傷ついた鳩がここに落ちてくるんだよ。 傷が治るまでここで世話してるんだ」 「あなた、ペットショップか獣医か何か?」 「科学者だよ」 バレリーは科学者とか芸術家とかを信じていなかった。 そういう人種は皆エゴの固まりだ。 この男もきっとそうだろう。 「息がつまりそうになるとここに来る。君もそうかい?」 男はバレリーと同じように手すりを越えて側に来ると言った。 「元気になって飛び立つ鳩を見るのが何よりの楽しみなんだ」 バレリーは、地上を怖々と見下ろすロイドの横顔を見つめた。 子供みたいな笑顔だった。
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バレリーは賞金稼ぎの体に刻み込まれた傷を見つめながら 何故かロイドに出会う前の自分を思いだしていた。 胸からくっきりと割れた腹筋のあたりの汗と血と汚れを丹念に拭き取ってやる。 バレリーはTシャツを脱ぎ捨て、シーツをめくりジョンの側に横たわった。 そして、そっと自分の体と頬をジョンの体に押しつけた。 血と汗とタバコのヤニの臭いがした。 微かに寝息を立てて眠る賞金稼ぎの頭を自分の胸に抱いた。 ・・・そっとやさしく抱いた。
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ホッファは高層ビルの屋上の端に立ち、地上を見下ろしていた。 賞金稼ぎとバレリーが逃走した夜は明け、 平穏な時間が過ぎ、また夜がやってきた。 腕時計を見た。 午後7時過ぎ。 “あの科学者と女に出会ったのもこんなビルの屋上だったな。 その時は他にも人がいたがな。” 「なぁ、ホッファ。いづまでこんなとこにいるんだぁ?」 グリーンはせわしなげにホッファの近くまで歩いてきた。 「パープルもホワイトも殺られだ。ブルーとオレンジは行方不明だ。 賞金稼ぎと女は逃げぢまうし、トカゲのやつもどっがいっぢまっだ。 これからどうすんだぁ?」 ホッファは静かに微笑んだ。 そして再び地上に流れる光の群れを見つめ続けた。
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郊外に続くハイウェイの、高層ビル街を横切るなめらかなカーブ。 その脇の小さなパーキングエリアに一台のハッチバックが停車している。 あたりに人はいない。 あるのは動かなくなり、乗り捨てられた小型のトラックが一台だけだ。 リザードマンの側には派手な衣装に身をつつんだ女が泣きじゃくっていた。 アイシャドウが涙で溶けドロドロに汚れた顔のまま女はリザードマンに哀願した。 「うっく・・ひっく・・お家に帰してぇ・・ぐすっ・・ひっく・・・許して・・ひっく」 「泣くなよ、お嬢ちゃん。終わったらゆっくりかわいがってやるから」 リザードマンはニタニタ笑いながら女を抱き寄せた。 「いやだ・・いや・・帰して・・うくっ・・ひっく」 女は更に泣きじゃくった。 リザードマンはハイウェイの下り方面を見つめた。 遠くからバイクのエキゾースト音が聞こえてくる。 「来たか」 バイクは100メートルほど離れたところで静かに停車した。 ジョンはバイクから降りるとゆっくりと歩いてくる。 頭上の立橋は“HEAVEN'S GATE”という歓楽街の目立つ大きな看板がある。 「“天国の門”か。フィナーレにはふさわしいや」 「忘れ物を持ってきてやった」 ジョンはシルバーのアタッシュケースを見せた。 それはリザードマンがチーチという男から奪ったものだ。 中にはギッシリと札束が詰まっている。 リザードマンはジョンに言った。 「よし、取引といこう。その金を半分やる。それでオレを死んだことにしろ」 「ノー。拒否する」 ジョンは芝居じみた口調で即答した。 高架から地上を見下ろすと、アタッシュケースを開けた。 そして地上に向けて中身をばらまいた。 札束は宙に舞い地上に降り注いだ。 たちまち地上は歓声と叫び声に包まれた。 人々は落ちてくる金を奪い合っている。 リザードマンはその様子を見下ろしながら肩をすくめてみせた。 「じゃしょうがない・・・。死ね」 「ここだ」 ジョンは自分の頭を指さす。 「ここ以外は防弾だ。当たっても弾は通らん。ここだけを狙え」 ジョンはコートを開き、腰のホルスターから銃を抜いた。 銃のスイッチを切り替えると、小さな機械音と共に上側の銃口が前方に突出した。 ジョンは銃を下げたまま歩いた。 リザードマンは女を盾にする。 ジョンのほうに銃を構えながら歩きだした。 「さぁ、どうする!?」 リザードマンが1発撃つ。 女が悲鳴を上げる。 弾は空を切った。 リザードマンが2発目を撃つより早く、ジョンの巨大な銃が火を吹いていた。 リザードマンの体は女から離れてふっとんだ。 撃たれた右腕を見た。 機械の右腕の肘から先が消えてなくなり、人工筋肉や機械部が剥き出しになっていた。 「・・・捕獲銃だと思ってたぜ・・」 「見ろ。二つ銃口があるだろ? 上は実弾だ」 ジョンはゆっくりと歩み寄ってくる。 「おまえの居場所は決まってる。檻か棺桶だ。選べ」 リザードマンは左腕で銃を拾うと起きあがり撃つ。 1発、2発、3発。 続けて発射された銃弾は全てジョンを外れた。 ジョンはゆっくりと構えると撃った。 頭に命中した。 リザードマンの頭はスイカみたいにバックリと割れた。 どす黒い鮮血と肉片をまき散らしてリザードマンの体は仰向けに倒れた。 動かなくなった。 ジョンは泣きじゃくる女の側を通り過ぎるとリザードマンの死体の前でかがんだ。 ポケットからディスクを抜き取り、それを見つめた。 「そうさ。オレもしょせんお前達と同じだ」 ジョンはバイクに乗ると、来た道へと引き返した。 大きく回転数を上げるバイクのエキゾーストノートが 横たわるリザードマンの死体から遠のいていく。
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1台のエアパトカーが空中をゆっくりと旋回していた。 車内ではドナヒューがモニタで地上を見下ろしている。 ハイウェイから下りてきた1台のバイクが街中へと疾走していくのが見えた。 「ヤツだ。止めろ」 ドナヒューは新米警官に命じた。 後方からもう一台が連なり、2台のエアパトカーが空中からジョンのバイクを追う。 「スタッカー、停車させろ」 ドナヒューがスピーカーを通して叫ぶ。 ジョンの乗ったバイクは小さな路地に入り、止まった。 狭い路地に入れないエアパトカーは手前の広場で下降し停車した。 ドナヒューと3人の警官達はジョンのもとへ走り寄る。 3人の警官はスタンロッドを抜いた。 「まだなんか用か?」 「渡せ。ディスクを」 「悪玉の使いっぱしりか。情けないね、おまわりさん」 「フン、金ヅルなんでな、ヤツは」 「嫌だと言ったら?」 「おまえは死ぬ。あの売女も死ぬ。」 「“売女”って誰だ」 「ホッファを狙ってた売女だよ。女は死ぬぞ。オレがいい返事を持って返らんと」 「女を殺すなら殺しな。オレには関係ない」 「とっとと出ていけと言ったろうが。平和だったんだ、おまえが来なけりゃな」 「悪いがゴメンだな。断る。ディスクはオレがもらう」 「勘定ができんのか? 警官が囲んでんだぞ、おまえを!! 4人で!!」 「警官に囲まれるのは慣れてるんでな。命令されるのは我慢ならんし、それにええと・・・」 ジョンはそう言いながらサングラスをかけ、ポケットから円盤を取り出す。 「おまえには借りがあるよな」 円盤から放たれた閃光がドナヒューと警官達の視力を奪う。 ドナヒューの耳に警官達の呻き声とくぐもった打撃音が聞こえてきた。 「くっ、くそ! 何してやがる!?」 あたりが静まりかえると、再びジョンの声が聞こえてきた。 「なあ、おまわりさんよ。オレはコケにされると我慢できんタチでな。 なに、あんたが警官で、オレはそれに嫌われてることとか、 あんたが嫌いとかじゃない。 ただ借りたものは返すんだよ」 微かに視力を取り戻したドナヒューに、 地面に倒れて気を失っている3人の警官の姿が見えた。 「死ぬしかねぇ、おまえはっっ!!」 ドナヒューは銃を向けるや続けて2発撃つ。 撃つより速く動いていたジョンに銃弾は当たらず、 そのままドナヒューの懐へと飛び込んできた。 ドナヒューが気付いた時にはもう遅かった。 視界の外から飛んできたジョンの右拳はドナヒューの顔面を捉える。 ふっとばされ床にたたきつけられたドナヒューはそのまま気を失った。 ジョンは思わずプッと吹き出してしまった。 しかしあまりの傷の痛みに顔を歪め、顔を両手で押さえた。 「いてて・・・」
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「グリーン、どいてろ」 ホッファはグリーンを離れさせるとバレリーのほうを見た。 屋上への入り口に立って銃をホッファに向けていた。 「チャンスを有効に使えたようだな」 「そしてこれが最後のチャンスだ。おいで」 ホッファが手招きすると小さな女の子がホッファの側に駆けてきた。 バレリーは呆然として立ちつくした。 「お母さんが戻ってくるまでおじちゃんと遊ぼうねえ。 おじちゃん、お母さんにお願いされてるんだ」 ホッファは女の子を抱きかかえるとビルの端まで歩いた。 「高いところは恐いかい?」 女の子は笑顔で首を横に振った。 ホッファは女の子を手すりの前まで持ち上げると、地上の景色を一緒に眺めた。 地上を見下ろしたままバレリーに言う。 「撃て。その代わりこの子はあの世だ」 少女はホッファを見上げて首を傾げた。 「おじちゃん、あの世って何?」 「うん。もうすぐ見れるかもしれないよ」 ホッファは笑いながら答えた。 「さぁ、どうした。いつまで立ちつくすつもりだ? この子を支えるオレの腕もそろそろしびれてきたぞ」 バレリーはうろたえた。 「その子を離せ、卑怯者!!」 「何が卑怯なもんか。これがおまえのチャンスなんだよ」 ホッファは女の子を引き寄せ、再び抱きかかえると言った。 「そんなことで恋人の敵討ちとはな。そんなザマで人が殺せるわけないだろう」 ホッファは脇から拳銃を出し撃った。 「うあっ!」 銃弾はバレリーの右肩に命中した。 バレリーの体は後方に吹っ飛び、壁にバウンドしてから床に倒れた。 拳銃はバレリーの手を離れ、転がった。 転がりながら暴発した。 偶然放たれた銃弾はバレリーの横にある、看板を固定しているワイヤーに当たった。 「言っただろ。“今度フイにしたら殺す”ってな」 少女は泣きじゃくりながら逃げていった。 ホッファは歩み寄るとバレリーのブルゾンの襟を掴んで立たせた。 「飛び降りるんだよ。 おまえは恋人の“事故死”の悲しみに耐えきれずに、 このビルから身を投げて自殺するんだ」 ビルの端までバレリーを引きずっていく。 「さぁ、飛べ」 バレリーはホッファの顔を殴った。 右、左と拳はホッファの頬にヒットした。 ホッファは微動だにせず、されるがままに拳を受け止めた。 バレリーはホッファの首すじに噛みついた。 力いっぱい首筋の肉に歯を立てる。 ホッファの首から鮮血がほとばしり、淡いグレーのスーツとバレリーの顔を真っ赤に染めた。 グリーンはやっと自分の置かれている状況を把握した。 ホッファに言われた通り、離れた場所で様子を見ていたが、 ホッファの首筋から噴水のごとく溢れ出る血を見て、だんだん気分が悪くなってきた。 呑気な彼にも、この連中と自分に破滅が近付いているのが分かったからだ。 すぐにここから立ち去るべきだった。 “田舎へ帰るべか・・・” グリーンはゆっくりと後ずさりしてから、走って屋上から出ていった。 銃声が響いた。 ホッファはバレリーの腹を撃った。 大きな衝撃にバレリーの体は揺れ、ホッファの体を離れた。 バレリーはヨロヨロとホッファの足下に倒れた。 「・・・スーツが汚れちまった」 ホッファは自慢のグレーのスーツにほとばしる血を見て言った。 鮮血のあふれ出る首筋を押さえると、 床にうずくまるバレリーの体を足で押した。 バレリーは虚ろにホッファを見上げた。 唇を噛みしめ、瞳には遺恨の涙が溢れていた。 バレリーの体がビルの端から消えた。 「いい風だ」 ぼんやり立ちつくすホッファはゴボッと、小さく水気を含んだ咳をした。 それから入り口に現れた男に目を向けた。 ジョンが立っていた。 「ホッファ、おまえの相棒は死んだぞ」 「・・・そうだろうな。女もだ。手遅れだったな」 ジョンは拳銃を抜き、銃口をホッファに向けた。 「撃っていいはずないだろう。おれは指名手配のリストにないだろう?」 ジョンは銃のスイッチを切り替えた。 上部の銃口が前方にせり出した。 ハンマーを起こした。 ホッファの頭部に狙いをつけた。 その時ビルの端から伸びてきた手がホッファの足は掴んだ。 バレリーはビルの端の段差につかまっていた。 ホッファの足を掴んだ右腕を力一杯引っ張る。 ホッファの体はバランスをくずしたが、もう一方の足で踏みとどまる。 が、濡れた床にホッファの足は滑った。 ホッファの視界は夜空を仰いだ。 ビルの端から足が浮いた。 とっさにビルの壁面に吊してある看板を掴む。 看板を吊してあるワイヤーが鋭い音を立てて軋む。 ホッファは必死に看板にしがみついた。 首筋から飛び散る血が、看板の女の顔を赤く濡らしていく。 下界を見下ろした。 夜の街は未だに祭で賑わっている。 ホッファはワイヤーを伝ってビルの端に手をかけようとする。 が、その時何かがはじける音がした。 キン! ホッファがつかまった看板のワイヤーは、 暴発したバレリーの銃弾が命中してモロくなっていたのだ。 看板はガタンと音を立てて外れた。 ホッファの体は宙に浮いた。 巨大な看板をひきつれてホッファは落下した。 看板にはじかれたホッファの体はきりもみしながら優雅に落下した。 ホッファの体は勢いをつけて地面へと激突した。 車が往来する車道に激突したホッファの体はバウンドして、 更に走ってきた白い軽車両に激突した。 ホッファの身体ははじき飛ばされてなおも転がった。 急ブレーキをかけて停車した車から作業服を着た男があわてて降りてきた。 「とっ、飛び降り自殺だ!!」 叫びながら作業服の男は、遺体の血と肉片で酷いことになった自分の車を見た。 フロントガラスとボンネットの“ホワイト・アロー”のロゴが真っ赤に染まっていた。 ホッファと共に落下したホワイト・アローの看板が電柱に寄りかかっている。 看板の中の女がベコベコに変形した顔のままニッコリと笑っていた。
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男はホテルの5階のベランダから路地を見下ろしていた。 通りを眺めていた彼は、ビルから落ちて地上に激突した男の、 グレーのスーツを着た男の末路を一部始終を見ていた。 「美しい飛び方だったな」 巨大な看板にはじき飛ばされ、きりもみしながら宙に舞う彼の姿は美しかった。 それが死亡事故であるという事実も彼には関係のないことだ。 彼が見て、聞いて、味わって、感じて、体験する全ての出来事は 全てこの創作活動のためにある。 例えそれが一般的に見て不謹慎な行いであっても。 創作活動に於いて大事なのは蓄えの部分はもちろんだが 蓄えたものを調理するために火が必要だ。 生のまま食して腹を下すこともある。 火を起こすためのライターやマッチがいつまでもあるとは限らない。 切らした時は石を使ったり、雷の力に根気よく頼らなければならない時もあるのだ。 こうして今回は僕はかろうじて火を手に入れた。 一見、このなんでもないようなきっかけが重要なんだよ。 きっかけが出来ればあとはスムーズに行くはずだ。 すぐに書き上げることが出来るだろう。 なんたって僕は才能豊かな人気作家だからな。 今夜のうちにまとめて書きつづろう。 早く仕事を終える。 それから愛する妻と娘の待つ家に帰るんだ。 「さぁ、長い夜が始まるな」 彼は肩をコキコキ鳴らすと自分の部屋に戻っていった。
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ビルの段差にしがみつくバレリーの腕は震えていた。 もう限界だった。 しかしもう目的は果たしたから・・・。 バレリーは段差にしがみついた両腕をスルリと離した。 “これで終わった・・” 落ちるバレリーの右腕をジョンの腕が捕らえた。 バレリーの体が再びぶら下がった。 ジョンの右腕がバレリーを引き寄せた。 ビルの上まで持ち上げるとバレリーを下ろした。 小さく弱々しい息を吐き出しながら、バレリーは賞金稼ぎを見た。 ジョンはバレリーを抱き起こすと背中に乗せた。 バレリーは腹部の痛みに顔を歪めて呻く。 「・・・私は死ぬの?」 「さぁな。生きてく希望はあるか?」 「・・・ないわ」 吐く息は弱々しい。数回小さな咳をした。 口からは血が流れている。 「いい想い出はあるか?」 「・・・あるわ」 ジョンはずり下がったバレリーの体を背負い直すと階段を降りながら答えた。 「じゃ死なないだろう」
◇
夜が明け、ビルの谷間にまばゆい朝日がさしこむ。 祭であろうとも清掃ロボットの作業に休みはない。 ドーム型の清掃ロボットは街の中をゆっくりと巡り、 散らばったゴミをかき集めていった。 ロボットがその大きなゴミを収集しようとした時、それは動き、そして叫んだ。 「バカヤロウ!! オレはゴミじゃねぇ!!」 夜通し酒をかっ食らった連中があちこちに寝転がっている。 早起きの子供が大声を上げて清掃ロボットの上に乗った。 清掃ロボットははしゃぐ子供を乗せたまま、ゴミをかき集めながら路地へと消えていった。
◇
カムナはジョンから手渡されたディスクをコピーした。 モニタに映し出されたメーターがゆっくりと作業の進行状況を伝える。 「心配しないで。これはあたしとあんたの2人の秘密だから」 そう言うとヒメマルを見てニッコリ笑う。 ジョンはカムナの部屋を見渡し視線を止める。 置いてある銀色のピアスを見つけ手に取る。 「これは売りもんか?」 「そうだよ。欲しいの?」 「ああ、きれいだな。もらおうか・・・」 そう言いかけたジョンは値札を見て、あからさまに嫌な表情を浮かべる。 そして眉をひそめると言い直した。 「もう少しまからないか?」
◇
ジョンは億劫そうにボックスの旧式電話器にカードを入れる。 呼び出し中のメッセージの後、しばらくしてナオミがモニターに現れた。 「終わったよ」 モニタに現れたジョンの顔はすっかり変形していた。 ナオミは目を丸くさせた。 「ヒドい顔ですね・・・」 「ああ、階段で転んだ」 「・・・・」 強がりなのか冗談なのか判断しかねてナオミは苦笑した。 医者に応急処置で腫れを目立たなくしてもらったとはいえ、 それでもその顔面はひどい有様であった。 「でも無事でなによりです」 そう言って笑みを浮かべる。 そして、すぐにいつもの無表情に戻った。 しかしその一言はうっかり出た本音だったのだろう。 「怒んないのか」 ジョンは意外なナオミの対応に調子が狂った。 ナオミはホッファの死についても何も聞かず、何も言わなかった。 「ほら、見ろよ」 ジョンはカムナの店で買った銀のピアスを電話のモニターの前に差し出した。 「それは?」 「おみやげだよ。きれいだろ?」 ナオミは少しうつむいて、それからフッと笑った。 「先に見せたら楽しみがなくなるでしょ?」 ジョンは電話を切るとポケットからタバコを取り出した。 壁でマッチを擦り火をつける。 「あ、お兄さん」 サラがジョンの姿を見つけ声をかける。 「あれぇ!! ・・・ひどい顔になっちゃったね・・どしたの?」 「そんなにひどいか?」 「ううん、それでもいい男だよ」 サラは無邪気な笑顔をふりまきながら、ジョンの腕に手を回した。 「ねぇ、今日はあたいを抱いてくれる?」 「ああ、そうしたいとこなんだが、仕事が終わったんでお家に帰んなきゃなんないんだ」 「なんだ、またかぁ」 「残念だよ」 「聞いてなかったけど、奥さんいるの?」 「ああ、もう長いこと会ってないけどね」 ジョンはそう言うと笑う。 「静かな遠い場所でオレを待ってる」
◇
ナオミのもとにジョンからの簡易報告の通信書が送られてきた。 それにはこう書いてある。 −−−−−−−−−−−− ○リザードマン 死亡 ○ディスク 未入手 ○実弾使用 2発 ○ジェル弾 2発 ○閃光チャフス 3 ○GPS 破損 −−−−−−−−−−−− ナオミは最後の項目を見て溜息をついた。 「また壊したのね・・・」
◇
裸電球1個の薄暗い部屋でドナヒューは目覚めた。 制服のまま縛られ床に横たわり、口はテーピングで塞がれていた。 ドナヒューは状況が飲み込めずに周囲を何度も見回した。 部屋にあるのは使い古された便器と床に敷かれたボロボロの毛布が2枚だけだ。 壁も床もあちこちが黒いシミにまみれていて、 高い室温と湿気とすえた臭気が不快感をつのらせた。 天井からはところどころからポタポタと水滴が落ちている。 静かだ。 静まりかえっている。 まるで冷暗所だ。 ドアが開いた。 入ってきたのは細身のひょろりとした男だった。 男は鋭い目をしているが表情はにこやかだった。 「ああ、目が覚めたかい? 悪いね、そんな格好させちゃって」 男は横たわったドナヒューの側まで来ると、膝を折ってしゃがみこんだ。 「ああ、そうか。テープ貼られてちゃしゃべれんよな。じゃ黙って聞いててくれや」 そう言うとその男はしゃべり続けた。 「なぁ、警部さんよ。ドナヒューだっけ? オレとは前に何度か会ったことあるよな? 覚えてるか? オックスだよ。オックス。 おお、思い出したか? そうか。 最初にお礼を言っとかないとな。 あのノロマの黒ん坊に鉛の弾を二発も食らわしてくれたそうじゃないか。 オレの手間が省けたぜ。 なんと残念なことに生きてやがったんだがよ。 入院中だよ。入院中。 しばらく出てこれんとよ。 それはそうとあんた、軍隊には行ったことあるか? ・・・そうか、ないか。そうだろうな。 オレはいたんだ。 務所に入るかわりに2年軍隊に入ったんだ。 植民星の戦争に行ってたんだよ。 あの戦争の話はみんなしたがらないよなぁ。 あれは最悪だったなぁ。 あんたは知らんだろうが、あの星のやつらってのがいっぱしに知能のあるやつらでな。 まるで人間様だよ。 いや、それ以上だったかな。 なんせオレら負けたんだからな。 で、どんな戦争だったかというとだな、あいつらマトモな武器なんか必要ないんだよ。 オレたちの仲間をまず何人かさらうんだ。 さらった兵隊を洗脳してから何もなかったように元に戻してやる。 だがな、戻ってきたその兵隊は見た目同じなんだが、すでに仲間じゃないんだ。 一人はライフルを乱射して兵舎を血の海に変え、一人は後方から部下を死地に追いやる。 少しづつ操り人形を増やしていく。 そしてオレ達は誰が敵かわからなくなる。 仲間と仲良く酒飲んでたら銃つきつけてきたりするんだからな。 洗脳ってやつだよ。 洗脳ってのも最悪なんだが、もっと最悪なとこがあるんだよ。 除隊まであと二ヶ月って時にオレは最前線に送られてな。 そこでアイツらに捕まったんだよ。 アリ塚みたいな家にとじこめられてな。 奥の部屋から仲間の捕虜になった兵士がいなくなっていくんだ、次々と。 だんだんオレの部屋に日毎に近付いてくるわけだ。 ある日、ついにオレの番が来て、オレは別の部屋に連れてかれた。 まず、ヘンな形したイスに縛り付けられる。 ヤツらはオレの腕を後ろに回して、脇の下に押し込む。 両腕を縛っておいて方の骨を間接から外すんだ。 それを今度は両足にもやる。 軍人だったら死ぬまで耐えるんだろうが、オレは傭兵みたいなもんだろ? ギブアップするんだがヤツらそんなのおかまいなしだ。 目的なんか何もないんだよ。研究か遊びかだろうな。 ヤツら人間の体のことを知り抜いてたから、拷問のやり方なんか人間とまったく同じだったぜ。 とにかくオレはその拷問に耐えた。 死ぬほどの苦痛だったが“こいつらに負けてたまるか!”って思ったんだな。 屈服してたまるかって思ったよ。 だがそう思ってても人間には限界がある。 ある晩、遠くから悲鳴が聞こえてきた。 “仲間の誰かが拷問に合ってるな。気の毒にな・・・”なんて思ってた。 ところが意識が戻るとそれはオレだったんだよ。 夜通しの拷問で自分が悲鳴を上げていたのさ。 昼間はまた別のところで同じ拷問が繰り返される。 肩と足の関節を外される苦しみは最悪だぜ。 この捕虜生活だけはオレの記憶から消えないな。 あ、縄はキツいか? 我慢してよ。もうすぐお話は終わるからな。 ところであの黒ん坊だけどな、あいつがいないとどうもオレはつまらんのだよ。 毎日が退屈でしょうがない。 しばらくおちょくることも出来ないんだな、あの黒いのが退院してくるまで。 そこでだ。それまで警部さんに遊んでもらおうと思うんだよ。 イヤとは言わせないよ。 今まで好き勝手にこの街で遊んできただろ? オレと少しの間遊ぶくらい何だって言うの? あんたには感謝してるよ。 ホントさ。黒いのを片づけてくれてさ。 でも同時に気にくわんのだよ。 だって、あいつがもし死んでたらだよ、もし死んでたらオレはずっと退屈するよ。 そしたらどうすりゃいいの? どこにその怒りをぶつければいいのよ? まあ、ここは誰も邪魔しにこないからゆっくりしてってよ。 オレ達が味わった拷問がどんなだったか体験てせてやるよ。 時間はたっぷりあるんだから。 おや・・? いっぱい汗かいてるみたいだな? 大丈夫だよ。 今からもっとたくさん汗かくことになるんだからな」 ドナヒューは恐怖に顔をひきつらせ、 瞳孔の開いた目でオックスを見上げながら思いを巡らした。 “何かの間違いだ、これは。夢だ。掛け間違えただけだ、どこかでボタンを” そしてこう考えた。 舌を噛みきればすぐに死ねるかどうか・・・と。
◇
白い清潔なシーツの上でバレリーは目覚めた。 郊外の静かな病院の一室でバレリーは体を休めていた。 側でバレリーの衣類をたたんでいたシューインが微笑む。 「あら、起きたのね?」 「こんなにゆっくり眠れたのは久しぶり・・」 バレリーは大きなあくびをしながらテレビのスイッチを入れた。 CMをやっていた。 「シューイン、この宅配便CMかけまくってるわね・・・」 “いつでもどこでも迅速に” 流れてきたのはホワイト・アローのCMだ。 「ここは静かでいいわね、バレリー」 「うん」 「ゆっくり休んで早く良くなってね」 「うん、ありがとう。シューイン」 「まったく、もう。心配かけて! 命があっただけめっけもんよ」 「うん。でも、もう終わったから」 前向きに生きていこうと思う。 ロイドの分も生きていこう。 心の傷が癒えたわけではないけど いつまでも泣いているわけにはいかない。 誰かがドアをノックする。 「小包です」 シューインがドアを開けると若い男が立っていた。 差し出された小包を受け取りバレリーに渡す。 差出人は書いてなかった。 包装紙を開けると、小さなボックスの中にはディスクが入っていた。 ロイドのディスクだ。 手にとり微笑む。 テレビで人気作家の脚本による新作発表を放送している。 タイトルは【灰色の天使】。 「・・・つまんないタイトル・・・」 バレリーはテレビのスイッチを切った。 全開にした窓から、涼しげな風がカーテンを揺らす。 木漏れ日の庭、舞い降りた白い鳩達のさえずる声が聞きながら、 バレリーはいつの間にか、再び安らかな寝息を立てていた。
◇
ガンメタル色のワゴンは郊外のハイウェイをのんびりした速度で走っていた。 あたりには建物もまばらで車の往来は少なく、車道はひたすら単調な直線だった。 運転するブルーはずり下がったメガネをかけ直し、チラリと助手席を見た。 助手席のオレンジは途中でブルーが買ってきたハンバーガーを夢中で食べていた。 「うまいか?」 ブルーはオレンジに言った。 「・・・うん」 「レストランが見当たらないから、それでしばらくガマンしろ。後でちゃんと食わしてやるからな」 「・・・これで十分だよ、ブルー。ブルーは食べないの?」 「いいよ。おまえが食えよ。おい、ケチャップ垂れてるぞ。口の周りベトベトじゃねぇか」 「・・・あ、ホントだ」 「まったくしょうがないやつだな。おまえはこれからどっか行くとこあるのか?」 「・・・ううん」 「家族はどこに住んでんだ?」 「・・・家族も友達もいないから」 「1人もか?」 「・・・うん」 「どうだ、オレと一緒に来るか?」 「・・・え、どこに?」 「知り合いがカタギの仕事始めたんでオレもそこに行くんだ。 オペレーターも必要でな。おまえの腕なら大歓迎してくれるぞ」 「・・ホント? オレも行っていいの?」 「来るか?」 「・・・うん、行く」 「よし、決まりだ。次の店で祝杯をあげるとするか」 「・・・オレ、お金ないんだよ」 「バカヤロ、オレが出してやるよ、そのくらい。 しかし金がないって・・・オレンジ、おまえサイフはどうした?」 「・・・うん。どっかで落としたんだ」 「“どっかで”って・・・。しょうがないやつだな。 ・・・ホント、おまえオレの死んだ弟にそっくりだよ」 「・・・え? ブルー、何? 今なんて言ったの?」 「・・・なんでもねぇよ。まったくしょうがないやつだな」 ブルーは微笑みオレンジの頭を軽く叩くと再び運転に専念した。 車はゆっくりと右折すると“ハイウェイ62”の表示へとコースをとった。
BH-0 THE END
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