■ボクを置き去りにして・・・

 

「真夏とはいえ、夜だから少しは涼しいだろう」

 

と、内容も聞かずに安易に仕事を引き受けたのはマズかった。

そこは昼間とも変わらず−むしろ密閉された空間なだけに
ほとんどサウナ状態とさえいえる場所だ。

 

そこは地下室だった。

しかもほとんど真っ暗だった。

 

「それではご苦労ですが朝までお願いしますね」

 

Yシャツにネクタイ姿の小太りの体型の男は
にこやかに微笑みながらそう言った。

公務員のようだが、
この蒸し風呂のような地下室にあっても
ネクタイをゆるめることもなく、さらに汗も全くかいていない。

 

「・・・ここで一晩何をすればいいんですか?」

ボクは不安になり尋ねた。

 

「奥に丸いマークが見えるでしょう?」

男が指さした奥の壁に黄色いマークが見えた。

 

「あそこから出てこないように見張ってほしいんです」

 

「“出てこないように”って・・・何が??」

 

「それが私も知らんのですよ。

 上からそう言われてましてね。

 いえね、なにも出ませんよ。

 実際に何か出たことなんか今までないんですから。

 保険みたいなもんですよ。

 保険入ってたって、実際事故や入院することなんか滅多にないけど

 みんな入ってるでしょ?

 そういうことなんですよ」

 

一気に最悪な気分になったが、
今日だけなので我慢することにした。

なにごとも経験というではないか。

しかし、その後男が口にした言葉は耳を疑った。

 

「朝までここは締め切りになります。

 飲み水はそちらに冷蔵庫がありますのでご自由にどうぞ。

 なにかあったらこのボタンを押してください」

 

朝までここに缶詰!?

干からびてしまう!!

 

男が立ち去ってから冷蔵庫の中を調べた。

その中にジュースやお茶類は全くなく、

1.8Lのペットボトル入りのミネラルウォーターがビッシリと収納されていた。

・・・・・まぁ、水分は十分だから死にはしないだろう・・・。

今は夜の10時、終了は朝の5時。

 


7時間・・・。

 

 

「大変な仕事を引き受けちゃいましたね」

側にいた細身のトオルくんが言った。

彼もボクと同じく、内容も知らずに仕事を引き受けてしまったのだ。

彼は下積みの舞台役者で、表現する部分ですぐに意気投合した。

誠実で人なつっこい感じの男だ。

 

彼がいれば、この異常な空間にも絶えられるはずだ。

 

 

改めて周囲を見渡してみた。
学校の教室より少し広いくらいのスペースだろうか。

緑に少し赤味を帯びたような暗い色の壁と天井に覆われ、

高い天井に“場違いとも思えるような”小さな豆電球が点在してるだけなので

暗いというよりは、限りなく闇に近かった。

部屋の端も歩いてみて初めて分かったくらいなのだ。

湿気のせいなのか、暗い色の壁からは滴がしたたり落ちていた。

 

 

それにしても暑い。

 

 

ベトベトした汗で肌にまとわりつくTシャツが不快指数を高める。

逃げ場所がないので、とにかくペットボトルの水を常にがぶ飲みする。

さもなければ脱水症状で倒れてしまうだろう。

しばらくは言われた通りに黄色い丸を見つめていたが、
30分で飽きた。

 

“今まで何も出なかった”のなら今日も出ないだろう。

 

ボクたちはTシャツを脱ぎ捨て、

ペットボトルの水を浴びながら雑談でヒマをつぶした。

初対面の者同士が交わす趣味や好きな音楽や映画の話題から始まり

それから将来の夢の話になった。

 

「ボクはこんなとこで埋もれるような人間じゃないんですよ!」

トオルくんは酒場やこういう場所にありがちな“高らかな意思表示”に酔っていた。

 

「それにしてもさっきからなんだか足の裏がかゆくない?」

「うん、かゆい・・」

「なんだかムズムズするっていうか・・。
 ダニでもいるのかな?」

 

あぐらをかいて退屈もせずにしゃべりつづけ、
水を飲み続けたせいかもよおしてきた。

「ちょっとトイレに行ってくる」

そう言ってボクはこの地下室に唯一設置されている小部屋に行った。

 

 

用をたして元の場所に戻ってきてみるとトオル君がいない。

「トオルく〜ん!?」

暗い場所で心細いせいもあって大声で叫んでしまったが
トオル君の返事はなかった。

ミネラルウォーターのペットボトルだけがそこにポツンと鎮座している。

 

どこに行ったのか。

 

この地下室は朝まで密閉されていて、
トイレとこの地下室以外に行き場はないはずだ。

 

ほとんど闇な場所で、不安と恐怖は徐々に高まっていく。

ボクはもう一度叫んでみた。

 

「トオルくぅ〜〜〜〜〜ん!!!!」

 

すると奥の暗闇から声がした。

「ここだよ〜」

 

恐る恐る声のする暗闇のほうに歩みよると
トオルくんの顔が見えた。

顔が見えた。

・・・・いや、“顔だけが”見えた。

トオルくんは壁に埋まっていたからだ。

トオルくんは“顔を残して”壁に埋まっていた。

 

「トオルくん、どうしたの!?」

 

トオルくんはお面みたいになった顔でにこやかに笑うと言った。

「うん、ここのほうが涼しいんだよね」

 

「“涼しい”って・・・なんでそんなとこに埋まってるのさ?」

 

「うん、この黄色い丸見てるとなんだか触りたくなっちゃって。

 そんで触ったあとのことは覚えてないんだけど・・。

 でも涼しくて気持ちよくて、楽なんだよね。

 とにかくいい気分なんだ!」

 

「壁に埋まるなんて非常識だろ!!」

 

この円は確かに“何かが出てくる”ことはないかもしれないが

“誰かが埋まる”ことはあるのだ!!

 

 

「最初ムズムズするし気持ち悪いって思ってたんだけど

 コレも今は気持ちいいんだよね」

そう言うトオルくんの顔にうごめく赤い糸が見えた。
赤い糸というのは生物だった。

トオルくんの顔には無数の赤いイトミミズ状の生物がまとわりつき、
のたくり、うごめいている。

イトミミズは毛細状に細かく、ドブ川なんかで水中にユラユラとうごめくアレである。
周囲の壁にそのイトミミズがそれこそビッシリとへばりつき、のたくっているのである。
ビッシリとまとわりついたイトミミズの赤が壁の色を変えていたのだ。
床にもそのイトミミズで敷き詰められていた。
まるで“明日がない”かのように、出口を求めるかのように悶え、のたくっている。
今まで“なんだかムズムズする”と思っていたのはこいつの仕業だったのだ。
壁にも床にもこのイトミミズがのたくっていたのだ。

 

「トオルくん、なにかおかしいゾ!!
 とにかくそこから出るんだ!!」

 

「ここのほうが涼しいんですよ〜。
 それに気持ちいいんですよ〜。
 いっそ、もうこのままでもいいくらいですよ」

 

「それは涼しいんじゃない!!
 涼しく感じさせられてるだけだ!!」

 

なんてことだ。
これは不慮の事故だ。

自己の意志に関わらず流れ弾には当たってしまうのだ。
用心しようが、強い意志を持とうがそれは降りかかる。

これのことを人は運命と呼ぶのだ。

運命は自ら切り開くものじゃないのか?

でも予測不能な出来事はどうするんだ?


ええい、それはともかく・・・・・・

帰ってきてくれ!

おまえがいないと朝まで生きられない!!

現実に帰ってこい!!

 

ボクは絶叫した。

 

 

「何を言ってるんだ!

  おまえの夢はどうした!!

  こんなとこで埋まってる場合じゃないだろ!!

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