■今夜世界が・・・

「ミツコ」

 

「マサオさん」

 

「君の笑顔を見られるのも今夜が最後か・・・」

「あなたのそのやさしい声を聞けるのも今日が最後なのね・・・」

「準備はいいかい? ミツコ」

「ええ・・・いいわ、マサオさん。」

「都会でもこんなにきれいな月が映える夜があるとはね」

「ええ・・・。本当にいい夜だわ」

「考えてみれば月を眺めることなんか、ずいぶん長いこと忘れていた気がするよ。
  いつでもそこに浮かんでいたんだ。
  幸せはいつもすぐ側にあったんだ。
  ボクらはそんな何げない日常にさえ今まで気付かなかった。」

「とても愚かだったわ、私達。」

「何気ない日常に感謝して楽しむことが出来たなら、
  ボクたちこんなことにはならなかったのに。
  でももうそれも手遅れなんだね・・・」

「あたしがあなたの力になれないばかりに・・・。
  本当にごめんなさい。うぅっっ・・・・」

「何を言っているんだ、悪いのは全部ボクのほうなんだ!
  ずっと君をないがしろにして、いい気になって!
  拡張しすぎた事業にも失敗してしまった!
  あんな男の言うことを信じたばかりに!
  会社も奪われ借金だけが残った・・・」

「でもいいじゃない。人を傷つけるくらいなら傷つけられるほうが。
 そうして今まで生きてきたじゃない。」

「そうだね。」

「今日という終わりの日がこんなに素敵な夜なんて・・・」

「死ぬにはいい夜だ。」

「ええ、本当・・・。」

 

「でも全てを無くしてしまったわけじゃない。
 君がいる。
 いつ見捨てられてもおかしくなかったのに・・・
 ・・・なぁ、
  君まで一緒に死ぬことはないんだよ。
 いいんだよ、知らないふりしてここを出ていってくれても・・・」

「そんなこと言わないで。
 あなたのいない世界なんて考えられないの・・・
 最後まで側にいるわ・・・」

「あぁ・・・
  今まで君のこんなにも大きな愛に気付かなかったとは!!
 ボクを許してくれ!!」

「最後だから笑顔でいましょう。」

「・・・そうだな。
  別に世界が終わるわけじゃない。
 ボクたちだけがこの世から消えてなくなるだけだ。」

 

「でもひとつだけ心残りがあるの・・」

「・・・チャッピーのことかい?」

「そうよ、あの子のことを考えると心が痛むわ・・・」

「坂木のおばさんに預かってもらったから大丈夫だよ。
 “2〜3日、旅行に行くから”って行ったら、逆に喜んでた。
 おばさん、犬が大好きだからね。」

「でもあの子、お腹こわしやすいから大丈夫かしら!
 それにいつも寝るベッドじゃないと落ち着かないのよ!
 神経質な子なのよ!」

「大丈夫、
  いつも使ってるドッグフードもベッドと一緒に届けてきた。
 おやつはやらないように言ってきたから。」

「せめて最後にあの子の顔を見たかったわ・・・」

「子供のいないボクたちを随分と慰めてくれたな・・・」

「うぅっ・・・やさしい子だったわ・・・」

 

「チャッピー・・・・
 身勝手な飼い主を許してくれ・・・」

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「ミツコ、支払いは済ませてきたかい?」

 

「ええ、税金に電気代、ガス代、家賃・・・全部払ってきたわ。」

「忘れてるよ、レンタルのDVD。これも返しておかなきゃ。」

「ああっっ! いけない!!」

「いいかい?
 これを返し忘れたら、他のお客さんが借りられなくなる上に
 レンタル屋さんも損害をこうむってしまうんだ。
 ヘタしたら僕たちの兄弟や肉親のところに請求書が行くかもしれない。
 それだけはやっちゃあいけない。
  人としてやっちゃあいけない。」

「・・・あたし、とんでもないことをするところだったわ。」

「まぁ、いいさ。
  誰でも忘れることはあるよ。
 じゃあ、このDVDは死ぬ前についでに返しておこう。」

 

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「マサオさん。」

 

「なんだい、ミツコ?」

「私達、どうやって死ぬの?」

「実はまだ決めてないんだ。」

「ビルから飛び降りるのなんかどうでしょう?」

「ダメだよ!
  ビルから落ちた人間はグチャグチャだよ!?
 後始末する人のこと考えなくちゃ!!
 それにたまたま居合わせて、ボクたちがアスファルトに叩きつけられて
 グチャグチャになる瞬間を見た人がいたとしたら、
 もうそれはトラウマだよ!?
 知らない人にそんな心の傷を負わせられないよ!!」

「じゃあ、首つりは?」

「ダメダメ!
  あれはすごく苦しいんだ!
  何十分も死ねないままのたうちまわった挙げ句、
 よだれと鼻水と大小の排泄物がありったけ垂れ流されて、
 そりゃあ悲惨だそうだよ。
 それにそれを始末する人のことも考えなきゃ!」

「そんなこと言ってたら自殺なんて出来ないわよ!」

「そうだなぁ・・・。」

「こんなこと言うのもなんなんだけど、
 出来れば苦しまずに死ぬ方法はないかしら・・・。」

「うちのバスタブじゃ、手首切っても二人は浸かれないしなぁ・・・。
 とりあえず外に出てから考えよう。」

「待って。そういえば、冷蔵庫の中身の始末を忘れてたわ。」

「なんだって?
  いつも完璧な君らしくないな。
 まだたくさん残ってるのか?」

「冷凍のピザと肉まんが2ケースづつ。」

「そういえばお腹すいたね。」

「もったいないから食べてしまいましょうか。」

「まだ今日は電気が使えるようだ。
 レンジで温めて、全部食べてしまおう。
 ゴミを残していって迷惑をかけてはいけないよ。
 飛ぶ鳥は跡を濁さないんだ。」


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「おいしかった。」

 

「おいしかった。」

 

「冷凍食品とはいっても、最後の食事だと思うと特別のごちそうな気がするよ。」

「本当ね。」

「・・・さて、お腹も一杯になったことだし、そろそろ行こうか。」

「あ、ちょっと待って!」

「なんだい?」

「明日の“なんでも鑑定団”録画予約しておきたいの!」

「ミツコ、
 
何を言っているんだ。
 今夜死ぬのにどうしてテレビ録画する必要があるんだい?」

「あ、そうよね・・。」

「旅行に行くわけじゃないんだゾ。」

「習慣になってるのかしら・・・。ホントは特別見たいわけでもないのに・・。」

 

「・・・ははは」

 

「・・・ふふふ」

 

 

「明日、温泉にでも行こうか。」

「え?」

「死ぬのは別に今日じゃなくてもいいさ。
 熱海の温泉にでも浸かって、帰ってきてから考えてもいいじゃないか。」

「・・・温泉?
  いいわねぇ。
 今日は後片付けするのにあちこちに行ってきたからとても疲れたわ。」

「じゃあ決まりだ。
 今日はゆっくりお休み。」

「・・・でもお金はあるの?」

「熱海で温泉に浸かるくらいのお金は残ってるだろう。」

 

「・・・でもその後は?」

 

 

「先のことはその時に考えよう。

 別に今夜世界が終わるわけじゃないんだ。

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